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2025-04-19 21:08

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ヘーゲルから何を学ぶべきか(1)

2009-10-30 07:21

P21~22

 

 われわれは以上に挙げたもの、及びそれら以外の多くの卑俗化と歪曲とからヘーゲルを浄め、歴史的に正しいヘーゲルを理解することが必要である。しかし歴史的なヘーゲルの正しい理解ということは、何処までも一応必要である。

 

われわれはヘーゲルのためにヘーゲルを理解するのではなく、われわれの前進のためにヘーゲルを理解するのである。ヘーゲルをそれ自身として理解することを主なる目的とするならば、それはスコラ哲学となる。

 

例えば『精神現象学』と『論理学』とは如何なる関係にあるかということを、「われわれに対するヘーゲル」という観点を殆んど全く離れて、ヘーゲル自身の立場から詮索することに没頭ものがある。一般にカント及びヘーゲルに対するかような仕事が、現在の一部の哲学者の殆んど唯一の任務となっている。

 

かかる意味の理解とは、カント或いはヘーゲルの体系のうちに見出される矛盾をその内部に於いて除去し、それを整合的なものにしようとする企てであるが、これは不可能であるだろうし、たとえ可能であっても無益である。というのは一つの哲学体系の矛盾は、むしろそれ自身が超えられんがための餌なのであるから。ヘーゲル自身の歴史的に正しい理解も、むしろヘーゲルを超え、それに批判的となることによって本当になし遂げられるだろう。

 

 いずれにしろわれわれは単にヘーゲルを理解するのではなく、われわれの認識を進展せしめるためにヘーゲルからよきものを摂取するのでなければならぬ。そのためには、ヘーゲル哲学は、古今に稀な宝庫である。

 

このよきものとは、何々であるか、これは本書の全内容が示すべきものであるが、今読者の便宜のためにそれを予め簡単にまとめて次に示すこととしよう。だが注意しなければならないのは、ヘーゲル哲学に於けるよきものとあしきものとは、嚢中の赤玉と白玉の如くそれ自身として区別されているものではなく、よきものはつねにあしきものに纏われていることである。それ故ヘーゲルから何を学ぶべきかは、ヘーゲルから如何に学ぶべきかと結びついていなければならぬ。

 

 

 

引用:

見田石介著作集 補巻

大月書店
 

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