P27~29
【スミスの混乱を捨て去る】
デービッド・リカードは、ユダヤ人の証券仲買人エイブラハム・リカードを父に、1772年ロンドンで生まれました。はやくも14歳の時から証券取引所ではたらいて財をなした後、1817年ごろには証券仲買人の仕事から引退し、経済学研究に専念しています。また1819年から無党派の国会議員にもなっています。
リカードの経済学への最大の貢献は、スミスの労働価値論をいっそう純化したことであるといえましょう。
彼は『経済学と課税の原理』(1817年)第1章の冒頭で断言しています。「貨物(財貨)の価値」は、「その生産に必要な相対的労働量によって定まり、その労働に対して支払われる報酬の大小によっては定まらない」と。この文章の前半部はスミスへの共感であり、後半部はスミスへの批判です。
スミスは、ある場合には前半部の投下労働説にたちながら、他の場合には後半部の支配労働説にたっていたといえましょう。
支配労働説は、商品の価値はその商品の購買・支配する労働の分量によって決まるとする説であるといえます。
この説によれば、商品によって購買または支配される労働が価値の尺度だということになります。ところが商品と労働が購買され交換されるということは、それぞれが価値をもっているからできるわけです。したがって支配労働説は価値を説明するのに価値を前提としておりますから、すこしも価値を説明したことにならないのです。
リカードは、この説が労働を金銀のような価値尺度とする点を批判して、「貨物が支配する労働」の分量は比較される貨物と同様に千変万化すると述べています。リカードはスミスの混乱を捨て去り、労働価値説をまもりぬいたのです。
けれども、スミスの混乱には理由がありました。スミスは、商品生産によって、私的労働が社会的労働に転化することを感づいていたのです。商品生産のもとでは商品の使用価値を決定するものは投下された個人的労働の分量ではなく、その労働が交換によってもつところの、すなわち、社会的労働の資格によってもつところの分量だと考えていたのです。
時代の移行期に生きていたスミスは、商品生産以前の社会と商品生産社会とを区別し、後者の分析が経済学の課題だと考えていました。
しかし、商品生産社会を当然のこと、永遠のことと信じたリカードはその歴史性をまったく考えることができなかったのです。したがって、リカードはスミスを純化させたとはいえても、発展させたとはいえないのです。
引用:
経済学との出会い 平野喜一郎著
青木書店 1984年
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