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経済学の「弁証法的方法」が、資本を商品から内的必然的に展開するものだ、という場合に、商品の矛盾によってこれをおこなうのだ、ということはよく言われることである。
しかしそう言われる場合に、不思議なことに商品の矛盾をとりあげてみて、その主張を実際に証明した議論はこれまでに一度もない。もしいい加減な類推でいうのではなく、商品の矛盾を実際に考えてみれば、それが商品を資本に発展させるとは言えなかったはずである。
商品の矛盾は、それは価値としては他のどんな商品とも交換しうるのに、使用価値としてはただ特定の商品としてしか交換できないという点にある。同じことだが、これは別の方面からみれば、商品生産社会での生産は一面では生産の永遠の法則にしたがって社会的生産でなければならないのに、それは直接には私的生産である、という点にある。商品の根本矛盾はこれ以外の何ものでもない。だがいったいこの矛盾は、商品生産を資本制的生産に移行させる原動力となるのであろうか。そうでないことは明らかである。
この商品の根本矛盾は、資本制的生産をうむのではなく、資本制的生産そのものの基礎的な矛盾であり、資本制的生産によってそれが解決されるのでなく、かえってそこではじめて全面的に発展させられる矛盾なのだから。
資本制的生産は資本制的な商品生産でもあり、しかも商品生産の一般化する純粋な商品生産社会でもある以上、それは当然のことであろう。そして資本制的生産のこの商品生産一般としての矛盾は、その独自の一側面として、それとともに発展し、生産手段の私有と私的生産の止揚を促進し、やがて社会主義社会によってはじめてその解決をうるものである。
その点からいえば商品の矛盾は、社会主義社会をうみ出す原動力の一つだ、ということができる。資本制的生産を発生させる原動力は、商品生産の矛盾にではなく、封建社会の胎内に成長するこの生産関係そのものの体制的な矛盾に求めるべきであろう。
だが一方、商品の矛盾は、その特定の段階における特殊的な矛盾としては、まず商品の一つ一つは一般的等価としての意味をもつが、しかしまさにこのようにすべての商品が自らを一般的等価とすることによって、どの商品も一般的等価となりえないで、特殊的等価となっているという矛盾である。
しかしこの矛盾も資本をうみ出す原動力であるのではなく、同じ単純商品流通の範囲内で、貨幣をうみ出す原動力であるにすぎない。そして商品の根本矛盾そのものは、これによって新しい運動形態を獲得するだけで、貨幣の出現によって、それが止揚されるわけではない。それ以上の商品流通の発展の一定の時期における特殊的な矛盾は、すべて貨幣のさまざまな機能と商品流通の新しい運動形態をうみ出すだけで、もちろんそれらが資本をうみ出すわけではない。
実際に商品の矛盾を吟味してみれば、商品はその矛盾によって資本に内的必然的に発展するという主張が、まちがった先入見を習慣的に言っているだけのものであることがわかる。商品生産そのものが、価値法則の作用そのものが、資本関係をうむのではない。すなわち価値、商品、貨幣は資本を含蓄していないのである。
見田石介著作集 第4巻
大月書店
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