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【論理と歴史との不一致の側面】
価値形態と交換過程、これは両方とも論理と歴史との一致です。
価値形態のところは、それを抽象的にみている。交換過程のところは、それを具体的にみている。そういうちがいはありますが。ただし、その内部をみると、論理と歴史の一致しないところが、無数にあるわけです。
たとえば、相対的価値形態と等価形態。マルクスはまず、相対的価値形態だけをとりだして、これだけを考察する。つぎに等価形態を考察します。これは歴史の順序でもなんでもありません。この二つは同時的な関係です。こういう同時的な関係の分析を、マルクスはいろんなところで無数にやっています。
たとえば、マルクスは、賃金の本質をあきらかにするさい、どうして賃金は労働の価格というような現象形態をとるのか、まずそれを問題にする。そういう現象形態から出発して、賃金の本質を認識する。そして、それは労働力の価値だと、そういうことがわかると、それからこんどは、どうして労働力の価値は労働の価格として現象するのかと、それをみます。この分析の過程、これなんか歴史の順序とぜんぜん関係ありません。
『資本論』には、そういう非歴史的分析、こういうものが無数にあるわけです、それで、それらの面からみれば、論理と歴史とは一致しないと、こういっていいわけです。その歴史とは、むろん資本主義そのものの歴史です。それから『剰余価値学説史』は、こんどは認識の歴史をみています。マルクス自身の正しい認識にいたるまでの必然性をあきらかにしています。
見田石介 ヘーゲル大論理学研究 ①
大月書店
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