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論理と歴史(3)

2009-11-26 14:13

P195
 
 
【論理と歴史との一致の制限性】
 
 それから、もう一つだいじなことは、論理と歴史の一致といっても、その歴史とは、資本主義内部における歴史です。
 
資本主義を認識するばあいに、土地所有からみていけば、なるほど歴史的なものからみてゆくわけですから、これほど正しいことはないように思える。しかしながら、そういう論理の順序は歴史の順序に一致しないのだと、マルクスはそういうのです。
 
ほかの制度から、封建制度から、資本主義制度へゆく、この歴史、これは、『資本論』の考察には、直接には関係ないのです。
 
『資本論』は、資本主義社会というもの、これをあたえられたものとして前提しているわけです。資本はアルファでありオメガであり、出発点である終結点である。資本というものは、その内部のあらゆる関係を照明するものである。マルクスはそう考える。だから、資本主義をあたえられたものとして前提して、その資本の細胞、商品から分析してゆくわけです。封建制社会の分析からはじめるのとは、ぜんぜんちがいます。
 
 それで、論理と歴史との一致説に反対するひとは、ここのところをとりあげて、マルクスは論理と歴史の順序は別だといっていると、そういったりする。しかし、ここのところをとりあげて、そういうのはおかしい。資本主義内部における歴史的発展、これと論理の順序との一致をみなければおかしいと思います。
 
 
 
見田石介 ヘーゲル大論理学研究 ①
大月書店
 
 
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