P112~113
【ありのままに歴史をみる】
社会現象・歴史現象を正しく把握し、こんごの動向を見定めるには、「ありのままに歴史をみること」が必要であり、これが社会科学の成立する前提であるとすでに述べた。
しかし「ありのままにみる」といっただけでは、まだ抽象的であり、一体どうすればいいのだという疑問が残るであろう。それは当然のことである。自然現象ですらありのままにみることは実は簡単なことではない。
すなわち「ありのままにみる」とはいっても、さしあたりわれわれにみえるのはことがらの表面的なすがたであり、あるいはものごとの一面だけである。われわれはものごとを一度に全体的に内部構造にいたるまで把握することはできない。ここに問題があるわけである。
引用:
現代の社会観 浜林正夫編
現代の社会科学① 学習の友社 1987年
【表面的で一面的なみかた】
とくに社会現象、歴史現象についてはこの点が問題であって、表面的で一面的な現象をみているだけでは実はなにもみていないのと同じだということがしばしばありうる。
たとえばわが国の商店街に陳列されている商品の山をみて、日本は豊かな国だと外国の旅行者は思うかもしれない。
それは生産力が高いという面では事実であり、誤った理解ではない。しかしはたして日本人は幸せかというとおおいに疑問である。それらの商品を買う購買力が問題である。商品は山と積まれていても購買力が乏しければ日本は豊かな国とはいえない。
進行する不況のもとで国民の財布の中身はいちだんと乏しくなりつつある。しかも住宅や福祉の貧弱さは豊かな国などととうていいえるような水準ではない。「金持ち日本」などというのは日本の大企業・大資本が貿易で大もうけをしているだけのことで、国家が金持ちなのでもなければ、いわんや国民が金持ちなのでもない。
わが国の生産力が高く、商品があふれているのは事実であり、それは商品が乏しく買いたくても買うものがない状態よりはましかもしれない。しかしこの一面の事実だけからはなんらの結論も引き出すことはできない。国民が豊かで幸せかどうかは即断できないし、それどころかこの商品の豊かさは国民の貧しさのあらわれかもしれないのだ。
引用:
現代の社会観 浜林正夫編
現代の社会科学① 学習の友社 1987年
第二章 社会と歴史についての科学
第三節 社会と歴史における本質と現象
鰺坂 真
PR