P115~117
【本質・実体・法則は認識不可能か】
問題は本質・実体・法則などは本当に認識不可能なものかどうかということである。
先にみたように現象は本質ではない。本質は現象の背後にかくれたものである。しかし同時に現象としてすがたをあらわす。「本質は現象しなければならない」とヘーゲルもいっている。
つまり現象は本質ではないから、現象をみて本質と取りちがえてはならないが、同時に現象は背後の本質が自己の一部の側面を表面にあらわした姿なのだから、現象を手がかりに探求をすすめるならば、やがて本質をとらえることができるのだといっているのである。
つまり本質は一気にたやすくつかまえられるようなものではないが、またこれは永遠に認識できない幻のようなものでもない。現象はいわば本質の一面なのであって、現象の認識を深め広げて、それによって得られたデータを深く分析するならば、そのなかから本質とか実体とか法則とかいいうるようなものがみえてくるのだということである。
引用:
現代の社会観 浜林正夫編
【本質と現象は客観的実在の二つの側面】
現象主義者・不可知論者がいうように、本質は認識されないもので、したがって人間にとって実在す津路はいえないものだというようなものではない。
本質も現象もともに客観的実在の二面をいいあらわしたもので、現象というのは、ものごとの表面にあらわれている可動的で変化しやすい側面のことであり、これにたいして、本質とは現象の背後にかくれていて、現象にくらべて変化しにくい安定した側面・要素・性質などをいうのであって、事物の根本的性質や特徴や構造のことである。
現象だけが此岸にあり、本質は彼岸のものといった関係ではなく、ともに現実的で客観的なことがらをあらわすカテゴリーとして考えるべきなのだ。
そのようなわけで、われわれは現象から出発しなければならないが、その現象をただそのまま無批判に受け取るのでなく、まさにそこに現象している本質的なものを把握する必要がある。
引用:
現代の社会観 浜林正夫編
現代の社会科学① 学習の友社 1987年
第二章 社会と歴史についての科学
第三節 社会と歴史における本質と現象
鰺坂 真
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