P114~115
【現象の背後にかくされている本質】
事実はかならずしも真実をあらわさない。つまり現象はかならずしも本質をあらわしていない。そしてしばしば現象は本質とは逆のあらわれかたをする。われわれはこのことを片時も忘れてはならない。
論理的にはヘーゲルがこのことを強調したのであった。本質はそのまま現象するものではないとヘーゲルは主張し、たんなる現象に目を奪われることをいましめ、真理はたんなる表面的で一面的な現象の背後にかくされている本質に関係したことがらだと主張しました。
たしかにそのとおりであって、社会現象においても、たんなる現象しかみえていないのでは理論といえるようなものは成立しようがない。
理論とか科学とかいわれるものは、現象の背後にさしあたりはかくされている本質とか実体とか法則とかよばれているものを、なんらかの程度において把握できていなくてはならない。
したがって科学方法論あるいは認識論においてはどのようにしてこの本質・実体・法則などをとらえるかということが重要な課題となるのである。
先に述べたように、さしあたりみえているのは現象である。しかし現象の背後にかくされている本質・実体・法則をとらえるのが科学の使命であるとするならばどうすればよいのかということである。
引用:
現代の社会観 浜林正夫編
現代の社会科学① 学習の友社 1987年
【現象と本質の誤ったとらえかた】
この課題にうまく答えることができないと、さまざまな誤った考えかたが生じる。
一方で現象と本質を区別せず、当面みえているままの現象を真理として承認するみかたがでてくる。現象だけみて、本質までは考察をすすめない浅いみかたになってしまう。これではとうてい、科学的探求とはいえない。
他方では、現象と本質を切り離し、本質というものはあるかも知れないが、人間には認識できないものだとして、科学は現象を把握できればいいのだと主張する立場がでてくる。
そしてこの立場の人びとは本質や実体や法則を探求しようとすることに反対し、本質・実体・法則などを追求することは人間の能力をこえたことをやろうとする思いあがりであり、非科学的な態度だと攻撃する。
引用:
現代の社会観 浜林正夫編
現代の社会科学① 学習の友社 1987年
第二章 社会と歴史についての科学
第三節 社会と歴史における本質と現象
鰺坂 真
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