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資本主義商品生産は、単なる商品生産ではない。社会の一部分でだけ労働生産物が商品になるような段階は越えているのである。
生産者が自己の生活を補填するために、自分が生産しない他の生産物と交換するとか、あるいは余剰物を売りだすとかいうふうに、偶然に商品が現われるのではない。社会の生産物が全般的に商品になっているような発展した商品生産である。
資本主義段階では、労働生産物は広い範囲で商品として生産され、交換されるようになる。もう商品生産は個別的・部分的に存在するのではなくて、一般化しているのである。
したがって商品が社会の隅々に浸透しており、社会的生産は商品生産となり、労働生産物は商品形態をとるという段階にまで発展した商品生産を資本主義的商品生産と考えるのである。マルクスは次のように『資本論』の随所で、くり返し述べている。
「生産物のすべてが、また単にその多数だけでも、商品という形態をとるのは、・・・まったく独自な生産様式である資本主義的生産様式の基礎の上だけで起きるものだということが見いだされるであろう。」
「資本主義的生産の基礎の上では、商品が生産物の一般的な姿になり、生産物の大部分は商品として生産され、」
このような発展した商品生産の一般化ということは、どういう性格をもっているだろうか。
この労働生産物が商品化する,この商品生産が社会の隅々まで拡がるということは、もうこの生産が単に他の生産物との交換を目的とする水準を越えて、じつは一つの価値を求めて、すなわち売ることを目的とした生産になっているということを意味しているのである。
資本主義的生産はこの価値を求めての商品生産であり、商品が価値の凝固物となっているのである。マルクスは『資本論』の冒頭で、次のような名言を述べている。
「資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富は、一つの『巨大な商品の集まり』として現われ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現われる。」
引用:
資本主義発展の基本理論 金子貞吉著
青木書店 1980年
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