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資本主義社会では、生活資料をはじめ財貨は商品として現われてくるようになり、商品はわれわれにとって富であるかのようになる。
先に述べた価値を求める商品生産とは富を商品において求める社会になったということでもある。そこで、富とはなにか、価値とはなにか、この過程を少しふりかえってみよう。
先述したように、生産された財貨が交換される度合いは社会の生産力に照応する。
端初的には物々交換として財貨=労働生産物は交換にあらわれてくるが、これはまだ自分の生活手段生産の補填的な行為である。たとえば内陸で穀物をつくる生産者が、自らは生産しえない生産物(塩のようなもの)を海辺地域の生産者と相互に相異なる物を物々交換するような行為がそれである。
このような端初的な交換においてすら、その交換を量的に規定するものがなければ、異質物の相互交換は実現しない。相対する生産物には、その自然的属性(使用価値)とは異なる共通者(価値)がふくまれており、この共通者が両者の交換の量的比率を規定する。
マルクスはこの価値が、労働生産物という性格にねざすことから分析をはじめ、価値の本性をつきとめたのである。
あらゆる生産物にはそれぞれ一定の労働が投下されており、この投下労働が価値の根源である。
しかしそれが価値として、あらゆる生産物にふくまれる共通者となり、生産物の交換を規定する普遍的性格をもつためには、自らが社会的行為であるという実を示さなければならない。単に労働を支出したというのでは、その投下労働はまだ私的な行為であって社会的に有用な行為ではないし、価値たりえない。
生産物に支出された私的労働が社会的性格を示すことができるようになるのは、生産物が頻繁に、広範に交換されるようになり、交換が生活の必要条件となってからのことである。
というのは、社会全体が商品交換を媒介として結合され、あたかも社会全体として必要生産物を生産するような状態が生まれてくることである。
個々の生産者は特定の生産物をつくりながらも、自ら生産しない他の異質の生産物と相互に交換して、多様な質の生活物資を獲得できる。こういう生産の社会的相互依存関係をわれわれは社会的分業とひとまずよぼう。
この社会的分業が発達すると、それらの生産者の個別的な私的労働は、社会的総労働の一部分たる役割を果たすことになり、この私的労働は二重の性格をもつこととなる。
一つは、一定の具体的形態の有用物をつくるという面での具体的有用労働である。もう一つは、労働の社会的性格である。
後者は、交換においては生産物のもつ異質性が捨象されて、人間の支出した労働という共通な性格をふくむものとして、抽象的人間的労働である。しかも、それは交換によって社会的分業の一環たる実を示すことで、そうである。
したがって商品交換がおこなわれるようになると、労働は二重の性格をもつこととなる。さきに述べた商品の使用価値と価値は、このような労働の二重性を反映したものである。
引用:
資本主義発展の基本理論 金子貞吉著
青木書店 1980年
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